街でくらすおっちゃん
〜野宿者を生み、増大させるよのなか 野々村 耀

野宿者は働く気がない自由人か?

筆者の野々村耀さんは、震災ボランティアを機に神戸に出てきました。 以前、横浜の日雇い労働者の街・寿町で暮らしていた野々村さんは、震災の街で、いわゆる「ホームレス」と呼ばれる人たちが排除されている光景を目のあたりにして以来、主に神戸で支援活動をしています。ホームレスと呼ばれる人たちへの、よく聞かれる疑問として「シンドイのはわかる。だけど自業自得と違うのか、努力しないから野宿せざるを得なくなったんじゃないのか? 働く気がないのと違うか?」というのがあります。野々村さんには、それらの疑問や先入観にわかりやすく、こたえてもらうとともに、今、野宿者を、とめどなく増大させている社会・政策について述べていってもらいます。

◆野々村 耀(ののむら・よう)
1937年、ソウル生まれ。年金生活者。粘り強く野宿者の支援活動を続ける。

急増…全国に2万人

1997年春ころから、建設や土木などの日雇い仕事が極端に少なくなり、野宿する人が目立つようになりました。また、失業者したサラリーマンや、倒産した経営者等日雇い労働を経験したことのない人も野宿に追いやられています。それ以前から、じりじりと増えていたのですが、余り問題になっていませんでした。後でちゃんと述べるつもりですが、日本政府(外務省)は1998年、国連に対して「ホームレス、違法居住者及び追立てに関する統計的なデータはない」と報告しています。関心がないから調査しないからデータがないのです。しかし、大阪市の調査では、市内に野宿している人の人数は96年には3500人、98年には8660人に増えています。全国では2万人以上の人が野宿に追いやられています。

このことは、僕には、ある偏見を覆しているように思えます。これまで、野宿しているのは怠け者だからだ、好きでしているのだ等と考える人が少なくなかったのですが、突然怠け者が増えたり、野宿の好きな人が増えると言うのは不自然です。その代わりに、「不況だから」と言う説明が多くなりました。これも嘘です。人が生活に困った時、自助努力ではどうしようもなくなった時、暮しが破綻しない様にするのが社会保障なのですから、社会保障が機能しておれば、不況だから野宿せねばならないと言うことにはなりません。

何でこんなことがと思うことが一杯あります。公園や河川敷やビルの軒下や、街で暮らすおっちゃんに出会って、話しを聞かせてもらって、感じたり、考えたりしたことを書いてみます。「おっちゃん」としたことについても後でかくつもりです。

阪神淡路大震災とホームレス

1995年1月17日、僕は北海道にいました。震災のニュースを聞き、幾人かが集まって「阪神大震災の被災者を応援するオホーツク市民の会」という会を作って、募金をし、ホームステイを受け入れる家庭を募ったり、物資を送ったりしたのですが、現地の様子が良く判らないので誰か行ってみる必要があるということになりました。僕は3人目だったと思います。

3月末に、神戸にボランティアに来たのですが、どこで、何をしたら良いかわからないので、沢山のNGOが活動報告をする連絡会議に参加させてもらいました。その中で、「震災の時に住むところのなかった人は、震災救援から排除されている。自分達はその人達の支援をしている」と言うカトリックの救援組織の報告が気になりました。僕は、以前横浜の寿町(大阪の釜ヶ崎、東京の山谷の次ぎに大きな日雇い労働者の町)にいたので、仕事にあぶれると野宿せざるを得なくなる人のことがどうしても気になります。僕はカトリック教徒ではないのですが参加させてもらうことにしました。

震災の時に住むところのなかった人を「元々のホームレス」と言う人がいました。震災被災者もホーム・レス(家がない人)なのですが、区別した言い方です。「元々のホームレス」といわれる人々は、震災直後の神戸の場合、以前港で働いていた人・最近は土木や建築の日雇い仕事をしていたが、病気や怪我や高齢で働けなくなった人が多かったようです。

「被災者」と認めてもらえず

そうした人は、街を生活基盤として暮していました。街のどこかに体を横たえて眠り、ダンボールやアルミ缶を集めて仕切屋(寄せ屋)さんに売ったり、粗ゴミの日にその中からテレビやビデオなどを探し出して中古の家電製品を売る店に買ってもらったり、コンビニやファストフードの店で時間切れの食べ物を手に入れたり、すべて街が生きる場でした。その街が壊れてしまったのですが、被災者とは認められませんでした。

震災直後の混乱期は別として、僕が行く前から罹災証明書という紙切れが、救助・救援を受けるためのパスポートになっていました。罹災証明書は住んでいた家が壊れた(全壊・半壊した)と言う証明ですから、家のなかった人には与えられません。ちなみに震災の日、たまたまドヤと呼ばれる簡易宿泊所にいた人には罹災証明書が発行されました。

罹災証明書がない人は、避難所に入れなかったり、追い出されたりしました。食べ物の配給を受けることもできませんでした。きゅうちゃんと呼んでいた61歳の人に、「役所から紙をもらってきてくれ。弁当をもらいに行っても紙がないと断られる。」と言われ、絶句しました。同じように、公園にビニールシートでテントを張って暮しているのに、紙を持っているか、いないかで、全く違う扱いなのです。

避難所「不適格者」、弁当ももらえず

新神戸駅から真っ直ぐ海に向かって流れている川があります。震災から1ヵ月後の2月末に、その河口近くの避難所の金網の外で、Kさんが病死していたそうです、避難所の中には診療所があったけれど、Kさんは診てもらえなかったのです。神戸市は、その年の5月に避難所調査を行い、その「手引き」に「不適格者は出て行くように指導する(ホームレス、罹災証明のないもの)」と書いたり、7月の初旬には、避難所にかろうじて残っていた「元々のホームレス」に対して弁当を渡さないといった仕打ちをしました。

カトリックの救援本部は避難所にいる被災者への支援活動と同時に、避難所に入れないで公園や路上で暮している「元々のホームレス」の人達を夜、昼訪問し(夜回り・ひまわり)、病気の人が治療を受けられる道を模索したり、衣類や毛布を届けたり、話しを聞かせてもらったり、風呂を提供し、医療相談の日を設けるなどの活動をしていました。僕が神戸に住みついて、野宿している人を訪ねたり、話し合ったりするようになったきっかけは、このようなことでした。

僕は震災を含めてどんな理由にせよ家を失った人はホームレスだと思うのですが、被災者(震災で家を失った人)の中には、自分達はホームレスではないと思う人もいました。神戸市が被災者に十分な対応をしない時、「私達をホームレス扱いするのか?」と怒りの声を上げた人がいました。「自分たちは地震が原因で苦しんでいるのであって、自分が悪いのではない。だから救助されて然るべきだ。」と思う裏には「元々のホームレスは自分の責任でホームレスになったのだから、自業自得だ」といった気持があるのでしょうか?  もちろん、時間の経過の中で、自分達の問題とホームレスの問題は同じだと考える被災者も増えてきたと思います。

行政がこのことをどう考えているかを示す証拠があります。避難所にいる人が生活保護を申請したらどうなるかという問題です。実際、何人もの人が生活できなくなって申請しようとしたのですが、神戸市は受けつけませんでした。最初は、避難所は安定した住所ではないから駄目だと言ったのです。持って回った言い方ですが、安定した住所でないと言うのは、住所不定ということです。ホームレス扱いしたのです。当然、被災者から反発が出ます。すぐに、災害救助法によって生活は保証されているから、生活保護は必要ないと、言いかえました。しかし、震災から半年以上が経過した95年8月20日に災害救助法が打ち切られても、生活保護申請は受理されませんでした。「避難所を出て、仮設住宅に移れば(安定するから)受けつける」と、避難所を早く閉鎖するための手段に用いました。このことを批判した福祉事務所の職員は配置転換され、不当労働行為だと人事委員会に提訴 現在、審理は佳境に入っています。その審理の中で生活保護の責任者だった保護係長は、「申請を受理しなかったことはない。安定したところに移るように指導しただけだ」とうそぶきました。

「家」なき者には生活保護適用せず

被災者が怒ったように、被災者をホームレスとみなしたことがいけなかったのでしょう か? 僕は、被災者はホームレスだと思います。家がないのですから。いけないのは、住所不定者だからという理由で生活保護申請を認めないことです。住むところがなくて困っている人が福祉事務所に行くとどうなるか? 「住む家を確保してからきなさい、そうすれば保護申請を受け付けます」と答えるのです。「食べるものがなくて、餓えている。助けて欲しい」と訴える人に、「食事をしてから、相談においで」と言うようなものです。

住所がない人に対して行政が酷い仕打ちをしてもかまわない、という市民の意識があったから、行政は安定した住所のない人(住所不定者)の生きる権利を保障しなかった。それが、避難所の被災者という住所不定者に撥ね返ってきたのではないでしょうか。

野宿している人に声をかけると「お前は何故こんなことをしているのだ?」と聞かれることがあります。初めて聞かれたとき、思わず「僕も路上で寝ることになるかもしれんからなあ」と言ったとき、その人は「自分も以前は、自分が野宿するなんて思ってもいなかった。その頃は、公園なんかで寝ている人を見ると、何でこんな所でと腹が立った」と言いました。実感だろうと思います。

自分が家に住んでいると、家を失った人のことを、実情を知らないままに、色々に決めつけがちです。怖い。汚い。迷惑だ。何をするか判らない。働く気がない。野宿を好きでしている。自由人。様々なレッテルが張られています。けれども、僕は出会うたびに、そうした見方が思いこみだと思わされます。

で、これから、僕が実際に出会ったこと、それにまつわることを書いてみますが、それも信用しないで下さい。本当かどうか、あなたの街で野宿している人に出会って、自分で考えてみて欲しいのです。


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