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「セックスせんでも生きていけるいうのは強がりや。
ホントは愛されたいんや…」
男でもない、女でもない「半陰陽者」ハッシーさんインタビュー

「半陰陽」あるいは「インターセクシュアル」という言葉を、ご存じでしょうか?
「世の中、男と女しかいないんだから…」とは、よく耳にする言葉ですが、実は「男でも女でもない」という人が存在します。5年前の1995年、ハッシーこと橋本秀雄さん(38)は、おそらく日本で初めて、自らが半陰陽者であることを世間に対して明かしました(橋本さんは男を演じてきた象徴である「橋本秀雄」という名前より「ハッシー」という呼称を好んで使います。本稿でも「ハッシーさん」と呼ぶことにします)。「日本半陰陽者協会=PESFIS(Peer Suppoot For Inter Sexuals)」という当事者自助グループをつくり、訴え続けることによって世間と、そして自分と闘ってきた、この5年間を語ってもらいました。
(大西 純)

◆ハッシーこと橋本秀雄 1961年7月生まれ。
ライターと講演活動が「本業」だが、今のところアルバイトが主収入。「サラリーマンやめて今年初めて確定申告できるようになってん。スゴイやろ」。著書:『インターセクシュアルの叫び』小田切明徳と共著=かもがわ出版、『男でも女でもない性〜インターセックス(半陰陽)を生きる』=青弓社
半陰陽者自助グループ「PESFIS」連絡先:吹田市穂波町4-1 吹田郵便局留 PESFIS大阪本部事務局 「PESFIS」のホームページhttp://home3.highway.ne.jp/~pesfis/(「半陰陽」と検索しても行けます)

両方、機能しない

ハッシーさんと出会ったのは98年の秋だった。取材の準備というか、顔合わせのつもりで会ったのだが、ハッシーさんは、イライラ、カリカリ、ソワソワしていた。
「しゃべってくれって、ギャラくれんのォ? たっぷり、ちょうだいよォ。ハッシー大先生、キョーレツなキャラクターやろ? オレは、このキャラクターで売ってるんや。わかったか。だいたい男の取材はキライなんや。パンツ脱いでチンチン見せてみィ、いうような聞き方ばっかりや」
電車の中で大声を上げることもあったし、笑えないギャグを振られ「突っ込んでくれや」 と毒づかれたりした。付き合い方を試されている感じが、ありありだった(しかし嫌味に 感じることはなく仲良くなれそうな気はしていた)。
同情……。絶対いけないとはわかっている。しかし、今度だけは同情してしまった。
「両性具有」という言葉を聞いたことがあると思う。かなり前、アダルト・ビデオに「両 性具有」をウリにする「女性」が出ていていると聞き、「ヘェ〜、両方付いてる人もいるんや」と思ったのを覚えている。が、現実は、そんなにファンタジックなものでもエロチックなものでもなかった。ハッシーさんは「両方付いている」とは言えない。「両方、機能しない」のだ。半陰陽者は「両性具有」どころか「両性不具」なのである。親しくなった(僕はそう信じている)最近、ハッシーさんは、自分の性器を次のように言った。
「マイクロ・ペニスが付いてるわけや。ちっちゃいぞ。クリちゃん(女性のクリトリス)と、あんまり変わらないわね、いう感じやな。カワイイやろ…」
勃起も射精もなく、陰嚢(俗な言い方をすればキンタマ袋)は萎縮していて女性器のような形をしているのだという。

男」と「女」の間の無数の性

「普通」の男性と女性を便宜上「正常」と規定するならば、「半陰陽」というのは先天性の代謝異常である。ヒトの性を決定づけているのは性染色体であり、男性型は46xy核型、女性型は46xx核型だという。ところが、まれに微妙に違う構成をした性染色体をもつ子が生まれることがある。その結果のあらわれかたは非常にさまざまである。例えば染色体は男性的な特徴をもっているが外性器は女性のような形、内性器は不明瞭などというかたちであらわれる。具体的には、精子を生産しない精巣がある場合や小型の子宮と前立腺が同居していたり、外性器でいえば小さいペニスや肥大したクリトリス、不完全な腔となってあらわれたりする。二次性徴の段階になって、決められた性別や自認している性別とは逆の性徴があらわれたり、本来あるはずの精通や月経が始まらなかったりする。断定的なことは言えないが、生殖能力はないことがほとんどだ。《男性と女性の間には、多様に性のグラデーション(漸進性)が存在し、「人類の男性と女性の間には、多様な中間性が存在する」という考えが、性に対しての正しい認識である》(『インターセクシュアルの叫び』小田切明徳、橋本秀雄著=かもがわ出版、『男でも女でもない性〜インターセックス(半陰陽)を生きる』橋本秀雄著=青弓社を参考、《》内は引用)。平たく言えば、少しだけ女性化した「男性」から、全く男女不明瞭な人を経て、少しだけ男性化した女性まで、点の集合体としての一本の直線のように「無数のセックス」が存在するということだ。正確な統計はないが『週刊金曜日』99 年10月8日号「セクシャリティを疑え!」(伊藤悟著)によると、ハワイ大学のミルトン・ダイアモンド博士は99年に行った講演の中で《各種のインターセックスを含めると、総人口の2千分の1程度はインターセックスである可能性がある》という数字を示したという。

性的トラウマ」

「チンチンがなくなるんやったら死んだ方がマシや」。男性の中には、こういう話をしたことがある人も多いだろう。マスターベーションを覚えたての頃は、毎日、いや1日に何度も励んだ経験をお持ちだろう。男性も女性も、異性愛者にしても同性愛者にしても、セックスや恋愛のことばかり考えていたという時期があったと思う。
周囲が、そんな“やりたい盛り”の時、ハッシーさんも二次性徴を迎えるのだが、ハッシーさんは男性化せず女性化していったのだった。
《私の肉体が男性でなく、女性でないかということを意識しだしたのは、小学校四年生のときである。…中略…学校の行事でプール開きが行われた。そして、男子更衣室で忘れられない出来事が起こったのである。…中略…私は「ハッ!」とした。「私の体と違う」と。そして友人たちが「お前のオッパイ大きいなア」と言いながら私の胸を触ってきた。それは私にとって、とても屈辱的でショッキングな事件だった。…中略…私はこの更衣室での出来事を家に帰って母に伝えたが、母はただやたら裾の長いシャツを私に渡し、これで性器と胸を隠せと言った。私はさらに、このことにもショックを受けたのだった。「ボクの体は恥ずかしいもので、他人に見せるものではないんだ……」。私の肉体のコンプレックスは、トラウマとしてこのとき植えつけられた》『男でも女でもない性』より。以下《》内は同著より引用)。
ことは「性」にまつわる問題である。みんな出ている“白い液”も出ない。月経があるわけでもない。ペニスが他人より大きい小さい、皮をかぶっている…などと何かと気になる思春期である。その時期、自分が「男」なのか「女」なのかわからない、というのはどのような苦悩なのだろうか。
中学の時《「マリリン・モンローもドッキリ、ハッシーのオッパイ!》と、からかわれ触られた。高校は男子校へ行った。《私はクラスの少年たちによって無理やり裸にされてしまったのである。少年たちは私が少女に見えるらしく、私を襲う計画を立てていたらしかった。…中略…私はつに「キレた!」。…中略…この事件以来、私はクラスの少年たちから無視される存在となった。そして、私は内的世界に閉じこもり、誰にも心を開かなくなったのだった》。入院して看護婦に尿瓶でオシッコをとってもらった時…《看護婦さんが退出すると、母は私にこう言った。「よくあんたの性器を他人に見せられたな。マァ、そんな性器でも将来結婚してくれる人がいたらいいのだけれど」》。
この深い苦しみ、ハッシーさんに話を聞いたり本をいくら読んでも、僕には、ちょっと想像に及ばない。

存在」自体を無視

《子どもが誕生したとき、親の関心はまず「男の子? 女の子?」に向けられる。新生児の社会的性別決定は通常、外性器形態によって判断される。生後十四日以内に出生届が提出されたあと、すべての人間は「男性社会」と「女性社会」のいずれかに組み込まれ、「性別社会」に生きていくことになる》
『男でも女でもない性』の冒頭文である。生まれた瞬間から死に至るまで(あるいは墓に入っても?)「男女」は、ついてまわる。「男女」以外の人間は存在しないとされる。人権無視の最たるものは「存在がない」とされることだと思う。僕は、半陰陽者という存在は、同性愛者や性転換手術で注目された性同一性障害(トランス・セクシュアル=TS=体の性別と自認している性別が一致しない障害)といったセクシャル・マイノリティーとは違うと感じている。非常に大ざっぱで、誤解を恐れぬ言い方をすれば、同性愛や性同一性障害というのは「価値観」の問題ではないだろうか。「おまえは男である、おまえは女である」、「男は男らしく、女は女らしく」あるいは「異性を愛するのが当然」という常識が、彼ら(彼女ら)を苦しめているのは理解できるし、多様な性を認めよという考え方もその通りだと思う。しかし彼ら(彼女ら)は元々、男女二元論の性別をもっているて、不本意かも知れないが、生まれながらにして「性別社会」の一員なのである。ところが、ハッシーさんらの場合は「半陰陽」という「セックス」であるにもかかわらず、「そんな性は、ない、男女どちらかしかない」と、一蹴されてしまっているのだ。価値観が合う合わないの問題ではない。「存在がない」とされたうえで、無理に「性別社会」に組み込まれているのである。そのことを表わすかのように、ハッシーさんは、ゲイや性同一性障害の人たちが自ら名乗ってデモ行進をしているのを見て「エライなあ、立派だなあ」と触発され、自らも当事者グループをつくったのだが、今は「セクシャル・マイノリティー路線 とは距離を置き、自分たちの存在を世間に認知してもらい、少しずつでも生きやすい世の中になるよう訴えていくという「社会福祉路線」に転じている。
少し話はそれるが、ハッシーさんらの存在は、いわれなき犯罪や不条理な交通事故等によって我が子を亡くし深い喪失感と孤独感の中にある親御さんたちや、震災の時被災者扱いさえしてもらえなかった(すなわち存在を否定された)ホームレスの人たち(「街にくらすおっちゃん」参照)に、むしろ通じるように僕は感じている。事実「少年犯罪被害当事者の会」の武さん夫妻(「我が子を殺されて」執筆)と出会った時は、おたがい共感し合えた様子だった。

ふたつの大恋愛と挫折

ハッシーさんは恋愛に縁がなかったわけではない。大学の歴史サークルで1年後輩のアキとは10年間《苦く美しい》関係を続けた。
《アキは…中略…こう切り出した。「男と女には友情は要らないんだよ!」このインパクトのあるセリフに、私の性的トラウマがフラッシュバックした。「ハッシーさんはいつもワタシを後輩として見てるけれど、ワタシはハッシーさんのことは、男として見てるよ!」…中略…アキは私に「先輩と後輩」という関係より「男と女」という関係を求めているのだ。いまアキに「好き」と言ってやればいい。それだけでいいのに、なぜ言えない。私の性的トラウマをアキに話せばすべてわかってもらえるはずなのに、なぜ何も言いだせない。しかし、このあとも、「先輩と後輩」という二人の関係が変わることはなかった》
出会って10年後、アキは結婚、ハッシーさんは披露宴で祝辞を述べ、2次会の幹事を引き受けるという形で《長すぎた恋》の幕を引いたのだった。
大学卒業後は《「食うため生きるために、社会で“男性”を演じて生きてみよう》と、スーツを着込んで会社に就職した。しかし、必死に「男を演じ」営業成績を上げようとしてもモチベーションが長続きせず職を転々と変えていく。そして最後の転職先で出会ったのがKという同僚男性だった。ハッシーさんは、彼とライバル関係から信頼関係を経て肉体関係にたどり着いたのだった。
《Kがごく自然に言った。「今日SEXしようか?」「うん!」…中略…私たちは、彼女(Kの妻)のいないベッドの上で抱き合っていた。Kの肩の向こうには欲情の炎が見えた。しかし、私にはヴァギナもペニスも存在しない。Kはやがてオーガズムに達し「射精」したが、私の性器はまだKの性器を求めていた。…中略…私は初めて欲情したのだ。私は男でも女でもない、「ただの人間」だった。…中略…Kと私はSEXの壁を越えたが、その代償に、Kと私が三年間築いた信頼関係は崩れ去った。…中略…Kと私のSEXとがあまりに違うことに、私は「憎しみ」と「悲しみ」を感じた。私はその日、男性という対象世界を喪失したのだ。だから、私は自分自身と向き合うために、私の性的トラウマと向き合わなければならなかった》
そして…。
《私が最初に向き合った相手は「母」だった。私は三十二年間の「悲しみ」と「憎しみ」を、「なぜ私に結婚を勧めないのか!」という言葉でぶつけ始めた。母は絞り出すように、少しずつ話しだした》

もう「男を演じない」

出生時、男と診断されたがペニスが小さく気になっていたこと。2、3歳になっても性器が大きくならず、町医者に診せたところ《「ほっときなはれ! 大学病院なんかで診てもらったら、おもちゃにされまっせ!」》と言われたこと。それでも大学病院へ連れて行き「半陰陽」と診断され性ホルモン療法を行ったこと。「部分型精巣性女性化症」と告知されたこと…。それは母親によるカミングアウトだった。
《私は母を罵倒した。「どうして男として育てた! 恨んでやる!」》
大学を出て10年、ハッシーさんはサラリーマン生活も「男を演じる」ことも《勇気をもってやめた》のだった。

日本初の「宣言」当事者グループ結成

すべてを失い《半狂乱》状態となったハッシーさんは、同じ立場の半陰陽者に会ってみたいと思った。《せっぱ詰まった私は、ある雑誌の投稿欄に「半陰陽」のコミュニティーを関西で結成します」という内容の文章を九十四年九月から投稿した。どうせ一通も手紙が来ないと思っていたが、年末に二通、半陰陽当事者からの手紙が舞い込んだ》。
これが始まりだった。翌95年、ハッシーさんは半陰陽者の自助グループをつくる。そこからも幾多の浮き沈みはあったものの、ハッシーさんは「半陰陽者」の存在と、その医療への批判を世間に訴え続けていった。現在ハッシーさんらのグループ「ペスフィス=PESFIS(Peer Suppoot For Inter Sexuals)=日本半陰陽者協会」には約40人の当事者と家族が集まっている。Peerとは「仲間」。「仲間どうし支え合う」という意味である。ちなみに海外には「北米半陰陽者協会」というのがあり、欧米あわせて200人が集まっているという。「欧米をあわせて」で「200万人でなく200人」である。「超マイナーやろ〜」とハッシーさんは笑う。アダムとイブから始まったキリスト教世界の方が「性別がない」ということへのタブー視は強固だということなのだろうか。
ハッシーさんはカミングアウト当時の心境を「助けて〜!いう気持ち、それしかなかった」と振り返る。しかし、半陰陽の当事者に会いたいという願いにもかかわらず、その後しばらく、半陰陽当事者と家族は集まってこなかった。

話すことで癒された

「うん、ボクは結果的にそれがラッキーやったんかなと思う。ボクしか発言してなかったわけです。自分の問題に向き合わざるを得なかった。外に向かって発言し続けざるを得ない状況を自らつくってしもうたんやな。ボクは話すことで癒されていった。厳然と存在する男と女に癒された。自助グループいうのんは、内で話し合い、問題点を外にぶつけるいうのが普通の形ですね。ボクは、それができなかった。ものすごい、しんどかった。その代わり支えてくれる人たちを得たいうことですね。いくら世間を拒否したって、人間はひとりで生きてゆけないわけですね。いくら否定しても男と女は厳然と存在する。結局、人間は人間によってしか癒されないわけです。言いたいこと全部言うたから、もうイライラカリカリは終わった。男も女も関係ない。ハッシーさんはハッシーさんでしかないと、自分で自分を認められるようになったんや」
すかさず突っ込ましてもらった。

男女社会で生きなしゃあない…

「せやけどハッシーさん、男も女も関係ないって言うけど、タイプの女を見つけたら、すぐ『あ、エエ女が歩いてる』て言うやん。よう聞きますよ。あれは、どういうこと?」
「あれはねえ、性(さが)やね〜。あのねえ…男女いうのんは、厳然と存在してるわけですね。200年経っても500年経っても存在し続けるだろうと。で、ウチとこ(PESFIS)に来る子ら(PESFISの仲間)には、半陰陽のアイデンティティーを確立しなさいとは言われへんねんな。半陰陽という診断を下された。それで、性別社会の中でどう生きるんだということやな。外へ出ると厳然と男と女が存在していて、どちらかに属さなアカンわけやな。社会規範としてのアイデンティティーは、男あるいは女として生きなきゃならないわけですよ。ウチとこ来た時だけ半陰陽である自分をさらけ出すわけやな。一番さらけ出してはならない、恥ずかしいことで、侮辱的で屈辱的で他人には言ってはいけないことだと自分で自分に刷り込んできたことやな。裸になって言いたいこと言うて涙流したら、また男女社会に帰って行きよるわけやなあ。わかる〜?」
“エエ女”の質問から、発展的な方向へ話は外れていった。
「ウチとこの子らは、自分の感情をコントロールできてないんよ。前のオレみたいに。それで半陰陽のアイデンティティーを確立せよとは言われへん。私を好きなんだと言える状態やったらエエよ。なかなか、そんなん、なれるわけないやん。ボクはすでに達観して、どうでもエエワになったけど、ウチとこの子らは、まだシンドイ状況にいるわけですね。今まで外に向かって発言してきたわけやけど、これからは内に向かった発言も、せんとアカンのです」
ひと段階、癒しを終えたハッシーさんと、ほかの半陰陽児(者)ではギャップがある。またシンドイ闘いである。
「今は認知の時代やと思ってる。とりあえず半陰陽という存在があるということを世間に知らせるという意味ね。ウチとこに来てる子、お父さん、お母さんの憎しみや悲しみや社会制度に不満をにぶつけていくのは、もうちょっとあとかな。癒されてからやと思います。10年は認知と癒しの時代やね。次の段階は感情がコントロールできて、まともにしゃべることができるようになってからやな」

優生思想を問う闘い

半陰陽者は、人間が誕生して以来、おそらく一定割合で存在し続けている。明治時代になるまでの日本は性に対して寛容で“ふたなり”という言葉で半陰陽者を社会に受け入れた。しかし“不良な子孫を残さない”という優生思想が西洋から入ってきて、半陰陽者は“劣った者”として社会から抹殺された。
優生思想を問う闘い、半陰陽の子供たちへの現在の医療の在り方を問う闘いは、ハッシーさんの、この間の闘いのメーンテーマでもあった。
「半陰陽者は戸籍の性別も変えることは可能だし(さらに言えば性別欄は空白のままでも受理してもらえる)、先天性代謝異常ということでタダで治療できるわけですねえ。トランス・セクシュアルと呼ばれる人らは400万円も500万円もかけて非常にリスクの高い性転換手術をするわけですね。オレらはタダやで。これ書けよ。そんな優遇措置があって何を文句言うことがあんねんというと、タダやということで医療行為を乱用されるいうことや」

★性分化異常の治療★ 外性器の形成は女性化のほうが容易であるため、出生時に外性器が男女いずれとも判定できないときは女児としておくほうが無難です。哺育の性や法律上の性が染色体の性と異なることが判明しても、それを変更せずに、哺育の性に一致するように性ホルモン剤を用いて性成熟させ、必要ならば外性器の形成手術も行います。(最新医学全書4、317ページ〜90年発行〜小学館/中山書店)

自己決定前に体をいじるのは医療過誤

外性器がつくりやすいように性別を決め、本人の意志とは関係なく医師が決めた性に合うよう「治療」する。これが半陰陽児(者)への一般的な治療だという。ハッシーさんは、これに猛然と反発する。
「医者いうのは、性器の形を変えたり、決めた性別と逆の性腺を取ることしか考えてない。 ホルモンバランスが崩れたり、肥大したクリトリスを取ることでオーガズム不全になったり、外性器の手術の結果、痛みを伴う排尿交障害が起きたり、性交障害になったり、そしてトラウマが残ったりいうことを考えてない。本人が自己決定する前に体をいじるのは医療過誤なんや。十分な情報を与えたあとで自己決定ができる年齢になってから、本人が治療したければ、すればいいんです(いわゆるインフォームド・コンセント)。本人がリスクをわかっていて治療をするんだったら何をやってもいいが、リスクを知らずに知らせずにやるのは罪である!」
「今の治療で何が誤りであるかというと、戸籍の性別を登録するために性器を変えるのは絶対に誤りであるということです。おかしいでしょ! それをタダでやってもらえる。タダだから医者に文句を言うてはいけない、というふうになってしまうわけや。主導権がお母さんでなく医者にあるんやな。お母さんは不安やな。不安にこたえるのが医者の仕事やな。そこで(外性器の形を変えるだけで)本当は手の施しようもないのに、別に必要のない治療をやってしまうわけや。重篤な疾患以外は、なんにもしなくていいの」(不完全な性腺はガン化する確率が高いというが、成人までに腫瘍化することはまれなので、ハッシーさんらは定期的な「性腺検査」を勧めている)
半陰陽を専門に研究している医師も皆無に近いのが現状である。患者が受診する科も、泌尿器科や婦人科、小児科等、与えられた性別や年齢でまちまちだという。伝聞情報だが、看護婦をしている知人から次のウソのような話を聞いたことがある。いわく、10代後半になっても生理が始まらない女性が婦人科に受診にきた。検査をして医師はひとこと言ったという。「アンタ、男やわ」。女性は、診療室から走って逃げ出したという。あくまで伝聞情報なので話が誇張されて伝っているかもしれない。この話に限れば作り話である可能性もある。ただハッシーさんの話と重ねて聞くと、そんなことを平気で言ってしまえる医者がいても不思議でないと思わざるを得ないのである。で、ハッシーさん自身が受けた治療について聞いてみた。
「まあ検査は受けた」
その検査についてハッシーさんは次のように綴っている。
《病院の診療室で、幼い私は診療台に寝かされている。医者が私の性器を覗き込み、外性器に触れ、「こんな子どもはいくらでもいます。成長すれば変化しますよ」と母に伝えている。この記憶は、私自身の「性」の問題に触れるたび、フラッシュバック(再体験)として生々しく蘇った。そしてこのことは、誰にも言ってはいけないことと思い込み、私の心の中に閉じ込め続けてきたのである》
「性ホルモン療法も、ちょっとやったけど効果がなかったからやめた」
その後お母さんは、治療らしい治療はせず放っておいたという。
「お母さん? うん、かしこかったんかな、いや、アホやったんかな?」
「お母さんは半陰陽ということを理解されてたんですか?」
「理解してない。放っておくいうのは勇気がいったと思うよ。エラかったというより、アホやったんかもなあ」
「なんで、放っておいたのか聞きました?」
「仕方がない、効果がないからって言うてた。私は正しい選択やったと思いますよ」
「今やったら、どうなってたでしょうね? 医療が進んだ結果、間違った情報も入ってくる。放っておくという選択が難しい時代なのでは?」

立ってオシッコせんでもエエ

「医者っていうのは臨床バカやからね、例えば、半陰陽で男の子として育っている子供が立ってオシッコができないとする。お母さんから、そのことで学校でいじめられると言われたら、医者は子供の社会参加のためということで治療するんやな。患者のことを何も知らないし考えていないということを、さらけ出してると思う。肢体不自由の子供に、立ってオシッコしなさいと強要する教師は一人もいないでしょ。半陰陽の子供も、しやすい形でオシッコしたらエエんや」
オシッコの話題でテーマは医療のから教育へと移った。「性と生を考える」性教育もまた、ハッシーさんの主張の中心部分である。
「お母さんには、学校の先生に子供が半陰陽であることを言いなさいと言っています。で、クラス内で「性と生を考える」性教育をやりなさいと。クラス内で半陰陽のことも含めて話し合いなさいと。本人が劣等感をもつことなく、みんなで支えていこうという形にもっていく。制度や社会に不満を言う前に、少しずつまわりを変えていくことが大切と思う」
「現実に、半陰陽で“男の子”として育っている子は立ってオシッコしてるわけですか?」
「オレもしてたもん…」
「それが普通やと刷り込まれていたら不自由でもないんか、現実的にやりにくいのか?どうなんですか」
「しにくいよ。だって(ペニスは)こんな小さいねんで(と指でサイズを示す)」
「それは、できないですね…」
この種類の会話を教室で行っていくことが大切なのではないだろうか。もちろんプライバシーのことや当事者の子供をさらし者にしていいのかという大きな問題をクリアしなければならないが。「ペニスとヴァギナ」から脱した多様な性教育を、小さい頃から行うべきというのがハッシーさんの考えであり、僕も大賛成である。

ハッシーさんのホンネ…

乗ってきたところで…《男女を超えて、私は人を愛する》というハッシーさんであるが、性的指向のホンネを聞いてみた。
「うーん、セックスいうのはね、余裕のあるヤツがするんですよ。ボクはそう思う。ボクらは裸になること自体がコワイんですね。トラウマがフラッシュバックする。欲情というのもを意識的に抑えてる。だから太るんだよ。ストレスが溜まって過食になったり拒食、不眠、薬物依存、手首を切ったりする自虐行為…こうなってくると半陰陽だけでは対応しきれない。愛されたいんだけど、愛され方を知らない…。性というものへの自信を、みんな持っていないわけやな」
「ハッシーさん個人の場合ですが、癒しという段階はひと段落整理がついた、自分で自分が好きだと言えるようにもなった、ハッシーさん言うところの少し“余裕のあるヤツ”になったわけで、恋もしごろではないのですか?」
「フラッシュバックするんですよ…。自分の性器を他人にさらすということがね、(そを考えるだけで)トラウマがフラシュバックするねん…。あわよくばセックスしたとしても(女性として生きている半陰陽者の場合)やっぱり普通の女の方がエエワ、なんていわれることもある、こんな侮辱的なことないで。これ書きなさいよ。セックスせんでも生きていけるなんていうのは強がりやな。ホントは愛されたい。でもセックスできない体なんだとコンプレックスを抱いている。ウチとこ来てる人の中には、そのコンプレックスを隠すために勉強に必死になったり、仕事一本に打ち込んだりという人もいる。どっか人間性が欠落してるんや。ホントは愛されたいんや……。ハッシーさん個人としては、私の性的指向は、まだ定まっておりません。うーん、やっぱり人間を愛するとしか言われへんなあ」ハッシーさんは、3冊目の本を出す。仮題だが『性のグラデーション』(現代書館)というタイトルだそうだ。「身体的性と社会的性がテーマ。世間にケンカ売ってま〜す」とハッシーさんは説明する。『インターセクシュアルの叫び』で理論武装し、『男でもない女でもない性』で自らを癒したハッシーさんは、次は何を語ったのだろうか。僕は刊行を心待ちにしている。(大西 純)


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