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ボクは障害をもつゲイ(1)
〜「狭間から社会をみつめる」〜花田 実

公衆トイレから性別を考える

 タイトルの通り、花田実さんは脳性マヒの障害をもつゲイです。自分のことを「ダブル・マイノリティー」と呼んだりしています。障害者と性の問題は比較的語られ出しましたが、障害者で、かつゲイと呼ばれる人は完全に無視されてきたと言って良いでしょう。よく考えれば存在して当然であるのに…です。初回、花田さんが、まず斬ったのは公衆トイレです。公衆トイレは、なぜ男女別なのか? 「男」に違和感をもつ花田さんが、スッと入れるトイレは存在するのか…。車いす用トイレのあり方は? 多方面からの考察です
 

◆花田 実(はなだ・みのる)1968年7月生まれの31歳。
障害者であり同時にゲイであるという視点で@nifty上で発言を行い、また執筆・講演を中心に活発な活動を展開している。著書に、「クィア・スタディーズ'96」(分担執筆:「障害者とゲイの狭間で」七つ森書館〜96年)、「知的障害者の恋愛と性に光を」(分担執筆:「ボクがボクであるために」かもがわ出版〜96年)などがある。


 ここに一つの記事がある。

1999年9月1日朝日新聞朝刊(大阪版家庭欄)に掲載された「車いす用トイレ男女兼用でいいの?」 この記事は、次のような書き出しで始まっている。

 《近ごろ街を歩くとよく目につく。車いすマークのついたトイレが、だ。内部にベビーベッドや棚などを備え、幅広いニーズにこたえようという「多機能型」も増えているらしい。その一方で、どうも気になるのが、一般用トイレは男女別になっているのに、車いす用トイレは男女兼用というケースが多いこと。なぜ車いす用トイレは、「兼用」ばかりなのだろうか》

 これまで車いすトイレと言えば、女性トイレ/男性トイレとは別な場所に設置し男女兼用になっていた。現在でも、車いすトイレが男女兼用になっているところも少なくない。地域によってばらつきがあるかもしれないが、ここ最近、女性トイレ/男性トイレの中に車いすトイレが設置してあるところも少しずつではあるが増えてきたように思う。
 同記事で、自ら車いすを利用している一級建築士の川内美彦さんは、「男女兼用は現状では必要」だと言っている。その理由として異性介護の際、「女性を介助する男性からは、周囲の目もあり女性用には入りづらいという声がある」ことを挙げている。
 これに関連して、1994年に「高齢者・身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(ハートビル法)を定めた建設省建築指導課の田中淳高齢者・障害者建築対策官は、「男性介助者が女性トイレに入ることを排除する雰囲気の方が問題では。国が指導すべきことではなく、市民意識やマナーの問題」と言い、次いで、日本トイレ協会のハートトイレ研究会の上幸雄事務局長は、「女性用に男性が入って助けることは不思議ではないし、それを認める社会にならないとだめですよ」と、言う。

さまざまな視点で

 確かに、介護者がいつも同性とは限らない。例えば、親子関係や夫婦関係などで介護者 が異性になることだって充分ありうる。しかしこの記事の問題は、異性介護を挙げておきながら、男性側の問題しか取り上げていない点にある。
 「女性を介助する男性からは、周囲の目もあり女性用には入りづらいという声がある」と言うのなら、男性を介護する女性だって、男性トイレに入りづらいはずだ。また、「男性介助者が女性トイレに入ることを排除する雰囲気の方が問題」や「女性用に男性が入って助けることは不思議ではないし、それを認める社会にならないとだめ」などというのは男性側の都合のいい言い分であり、トイレに入ってこられる女性側の立場や言い分を全く無視している。そのような女性の視点を抜きにして、男性側の問題だけを取り上げるのは、記事としてのバランスに欠ける上、女性が介護をするのは当然といった前提なり思い込みがあるのではないだろうか(事実、これまで介護を担ってきたのは女性である)。異性介護を挙げるのなら、男性側のみならず、きちんと女性側の問題も記事の中に盛り込むべきである。
 また、介護を必要とする側にとっても、女性トイレ/男性トイレの中に設置してある車いすトイレに入るより、女性トイレ/男性トイレとは別に設置してある車いすトイレに入る方が、介護者に気を使う必要がなく安心してトイレに入ることができるのではないだろうか。このことから、女性トイレ/男性トイレとは別に設置してある車いすトイレは必要だと考える。今後、女性トイレ/男性トイレの中に車いすトイレの設置が進んでいったとしてもだ(場合によっては、片方のトイレにしか車いすトイレが設置されていないところもある)。
 このように、一口に車いすトイレと言っても、障害の程度のみならず、女性/男性の異性介護の問題、さらには、介護を必要とする側、介護を提供する側など、さまざまな視点がそこに含まれていなければならない。

男性トイレに違和感…性別とは?

 もう少し視野を広げてみよう。公衆トイレが女性トイレ/男性トイレにわかれているこ とは、多くの人にとって何の疑問もなく受け入れられているようだ。しかしボクは、以前からどうして公衆トイレが女性トイレ/男性トイレにわかれているのだろうかと疑問に思っていた。
 実を言うとボクは、男性トイレに入るのは、すごく違和感がある。トイレが女性/男性にわかれているのは、社会が個人に対して「女性か男性かのどちらかの性別を選択し、明確にしろ」と性別の二者択一を強要しているのだとボクは考えている。どうして性別の選択を強要されないといけないのか?
 性別の選択を強要されることに圧迫感・威圧感すらおぼえてしまう。
 もちろん、性別の選択を強要される場面はトイレだけではない。役所やさまざまな公共機関に提出する書類、会社や市民レベルのアンケートに至るまで、人が生活するさまざまな場面で性別が問われる。どうしてそんなに性別が問われなければならないのだろうか?
 性別ってなんだろうか?
 性別って、そんなに簡単・明確に二分化されるものだろうか?
【性別の7つの要素】
・染色体の性別:XXとXY
・内性器の性別:子宮と前立線
・外性器の性別:クリトリスとペニス
・戸籍上の性別:社会的登録上の女性、男性
・社会的性役割(らしさ)の性別:社会が個人に対して押しつける性役割(女らしさ/男らしさ)。例えば、女性なら家事・育児を期待し、男性なら仕事をし一家を養うことを期待する。
・性自認の性別:社会的性役割やクリトリス・ペニスの有無に関係なく、個人が女性/男性であると自認する性別。例えば、たとえペニスがあったとしても、「女性である」と本人が自認していれば、その人にとって性自認は女性となる。
・養育の性別:両親や周囲の人々が意識的もしくは無意識的に、子どもに対する接し方・育て方及び、子どもに対して適切なふるまい方を理解させようとする。例えば、ぬいぐるみを欲しがる子どもに対して、女の子なら与えるのに対して、男の子なら困った表情をして与えない。

 このように性別とは、さまざまな要素がある。通常性別と言えば、・の外性器の性別を指すことが多い。しかし例えば、外性器や内性器が曖昧なインターセクシュアル(半陰陽・ふたなり)と呼ばれる人々がいる。インターセクシュアルの人の中には、生まれた時に性別の判定が難しく、一度は判定されたものの、成長過程や大きくなってから性別の再判定を望む人もいる。また、・の性自認の性別が示すように、「性別は他者から押しつけられたり、強要されるものではなく、自分で決めるものだ」という意見もある。

 もう少し性別について深めよう。例えば、性別を次の三つに限定して考えよう。ペニスがあるということ(外性器の性別)と、男らしさ(社会的性役割の性別)と、男性である性自認(性自認の性別)、この三つが一致していることが当然であるかのように思われているが、実は当然ではない。この三つは、別々なものとして考える必要がある。一つの例を示せば、ペニスがあって、女性らしいしなやかさを持ち、性自認が女性の人だっているだろう。
 このように性別とは、単に外性器の性別だけで決められるものではなく、簡単・明確に二分化されるものでもない。性別は、さまざまな要素のグラデーション(漸次的変化)に富んだ(極めて曖昧な)ものなのだ。なのにどうして、公衆トイレが女性トイレ/男性トイレにわかれているのだろうか?

女性/男性、うんざり

 ここでもう一度思い出してほしい。トイレが女性/男性にわれているのは、社会が個人に対して「女性か男性かのどちらかの性別を選択し、明確にしろ」という性別の二者択一を強要しているのだ。つまり、性別は女性/男性の二つしか存在しないといった性別二元論もしくは、性別二元制を前提としているのだ。ボクは、男性トイレに入るのに、すごく違和感がある。それは、どうして性別の選択を強要されなければいけないのかといった思いと、性別の選択を強要されることに対する圧迫感・威圧感、さらには男性トイレに入ることによって「男性である」性自認を強要されているような感じさえおぼえてしまうからだ。
 ボクも「性別は他者から押しつけられたり強要されるものではなく、自分で決めるものだ」という意見には基本的に賛成だ。しかし、ボクの場合は少し違う。そりゃ、ボクにだってペニスがある。ひと昔は男らしさにこだわっていた時もあったが、今はほとんど棄てた。だって、あんなガチガチの鎧を身につけて生きるなんて窒息死しそうだ。性自認についても、男らしさを棄てたことにより、「男である」なんてどうでもよくなった。

 外見が男であることを指して「あなた男でしょ」とか、女ぽいところを指して「あなた女でしょ」なんて言われると、どうしてそんなことをいちいち言われなければならないの?と思ってしまう。女性/男性なんて、もううんざり。女性であれ男性であれ、ボクは性別二元論・性別二元制を押しつけられたくない(注1)。他人から女性/男性の性別を押しつけられない、もしくは強要されない権利、女性も男性もどちらの性別も選択しない権利があることを忘れてはならない。
 ボクは、時々公衆トイレの前で、どちらのトイレに入ったらいいのか迷うことがある。そんな時には、性別表示のない車いすトイレに入ることにしている。これなら、性別を意識することも、迷うこともなくすんなりと入ることができる。

「公衆」トイレのあり方

 性別になんらかの違和感を持つ人たち、例えばインターセクシュアル(注2)の人からよく言われることだが、「トイレは男女共用にして外から一切見えないように全て個室にすればいい」といった意見がある。この意見には基本的にボクも賛成だ。しかし、そんな一筋縄に問題が解決するとは思えない。トイレを男女共用にすれば、当然、今度は女性が使いづらくなるだろう。レズビアン・異性愛に関係なく、男性に対する恐怖感、羞恥心で女性が公衆トイレに入りづらくなるだろう。
 そこで、ボクの考える今後の公衆トイレのあり方について一つ提案してみたいと思う。昨年、あるイベントのパネリストに呼ばれて行った会場のトイレは、ボクが今まで見たことのないつくりをしていた。まず、女性トイレ/男性トイレがあり、その間に車いす用の広いスペースを設けられた「左きき用トイレ」と「右きき用トイレ」があった。左きき/右ききにこだわらず、ボクのような脳性マヒの障害をもつ者をはじめとする身体障害者にとっては、使いやすい方を選択することが可能だ。また、車いすのマークはあったが、性別表示はなかったと記憶している。このように、女性トイレ/男性トイレとは別なスペースを設けてあったので、「性別を問わず誰でも使っていいトイレ」としても使えるのではないか。事実、ボクは、性別を意識することもなく、迷うこともなくトイレに入れたので、とても気持ち良く利用できた。このようにハード面では、やはり、女性トイレ/男性トイレとは別のスペースを設けることがベストだと考える。
 ソフト面についても、「一般用トイレは男女別になっているのに、車いす用トイレは男女兼用というケースが多いこと。なぜ車いす用トイレは、『兼用』ばかりなのだろうか」と言った切り口で考えるのではなく、これまでの「車いすトイレ」と呼ばれているところを車いす用と限定するのではなく、「性別を問わず誰でも使っていいトイレ」といった具合に、意識を変えていけば(意識改革をすれば)、健常者にとっても使いやすいトイレになるだろうし、もちろん性別に対してなんらかの違和感を持つ人たちにとっても使いやすいトイレになると考える(時々、車いすトイレの入口に「どなたでもお使い下さい」と表示してあるのを見かける)。

性別二元論を見直す

 冒頭に引用した記事の終わり「記者の一言」で記者は次のように言っている。

 《スペースや経費、介助の問題など、一概に「男女別にすべきだ」ともいえない難しさがあるのは分かった。ただ、設計・建築時に当事者の声が重視されていないというのは納得いかない。幅広く希望を聞きそれを踏まえたうえでの選択なら、確かにケースバイケースで構わないのだが》

 ここで言う「当事者」というのは、障害者を指していることは想像に難くない。公衆トイレの問題や課題を考える時、介護者の問題を含めて障害者がその中心に置かれがちだ。が、しかし公衆トイレを誰もが使う一つの公共施設(設備)としてとらえた場合、誰もが快適に使えるようにしていく必要がある。その意味では、障害者だけが「当事者」ではなく、また「当事者」であるはずがない。性別に対してなんらかの違和感を持つ人たちを含む公衆トイレを使う全ての人々が「当事者」であらねばならない。
 しかしこれまで公衆トイレにかんして、性別に対してなんらかの違和感を持つ人たちの問題や課題、意見は全く取り入れられてこなかった。それどころか、性別に対してなんらかの違和感を持つ人たちが存在することすら知られることなく、なおざりにされてきたのだ。その背景には、これまで日本の社会が、人は生まれた時に女性か男性のどちらかの性別を獲得するといった性別二元論・性別二元制を前提としてきたことが挙げられる(注3)。
 今後は、公衆トイレを一つの公共施設(設備)としてとらえ、性別に対してなんらかの違和感を持つ人たちも含め、どのようにしたら誰もが快適に使うことができるのかを考えていく必要がある。それにはまず、これまで大前提としてきた性別二元論・性別二元制を見直すことから始めなければならない。もちろん、これは容易でないことは、充分承知の上だ。しかし、ボク自身も、性別に対して違和感を持つ一人として、この問題に取り組んでいきたいと考えている。

(注1) このように言うとボクには性欲がないのではないかと思えるかもしれないが、 性別二元論・性別二元制と性欲のある/なしとは連動しない。言うまでもないことだがボクにも性欲はある。

(注2) ここでは話を簡略化するためインターセクシュアルを取り上げるが、実際には、性別に違和感を持つ人々はさまざまだ。

(注3) インドには、女性と男性それともう一つヒジュラという3つの性別が存在することが既に知られている。ヒジュラとは、ウルドゥー語で半陰陽・ふたなりを意味し、「女性器と男性器を併せ持った存在とされており、インド特有のカースト制度から外れた特異な社会に生きる人々」(石川武志 「ヒジュラ 第三の性」 青弓社)とされている。日本では、知人である橋本秀雄さんが自らインターセクシュアルであることを公言し活動をしている(橋本秀雄 「インターセクシュアルの叫び」 かもがわ出版)。

◆花田さんのホームページはこちら。 http://www.ky.xaxon.ne.jp/~matuki/hanada/hanadase.htm
「ラブレター」と質問・ご意見メールはhanada@mba.nifty.ne.jpまで。


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